戦争反対をいま言わないでどうする、と強く思います。
私は、二十数年前から浄土真宗本願寺派が推進する「御同朋の社会をめざす運動」に参加し活動するうちに、部落差別問題や靖国問題にとりくむようになりました。
もっと声あげて
10年ぐらい前からはハンセン病問題にもかかわっています。国家はハンセン病がどのような病気かを知らないで隔離政策をしてきたのではありません。患者の救済よりも国家の利益、メンツを優先し、国策として強制隔離を推し進めてきたのです。
少数の弱者を不当におとしめ排除していく差別の構造は、ハンセン病問題だけではなく、部落問題や在日外国人問題にも共通しています。現在も根強く残るさまざまな差別に対して、もっと声を上げていく必要があります。
安倍首相は特定秘密保護法の成立を強行し、憲法の解釈変更で戦争ができる国にしようとしています。靖国神社への参拝は外交問題に発展しました。靖国神社は戦死した兵士を追悼する施設ではありません。兵士の戦場での功績を顕彰する施設です。戦争を賛美し、国民を戦場へ送り出すための精神的支柱となる軍事施設です。靖国神社の存在は「二度と戦争してはいけない」という立場とは相いれません。これからの日本が平和な国づくりをめざすのか、再び過ちを繰り返すのか、私たち一人ひとりが真剣に考えていかなければならない問題です。
さまざまな差別の問題にとりくみ、戦争反対の運動をすることで、周囲から「いらんことをするな。僧侶は僧侶らしく、仏さまの教えを広めていればよい」と言われることがあります。
しかし、来世の救いを説くことだけが仏教の教えではありません。いま生きている私たちが、差別することもされることもなく、すべての人びとが自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現をめざしていくことが仏教の本来の姿なのです。
「人間は平等だ」
浄土真宗の開祖親鸞聖人は、差別があたりまえの時代に「すべての人間は生まれながらにして平等である」と声を大きくして言われ、時の権力者によって流罪にされました。共産党も戦時中、戦争反対を訴え弾圧されました。
憲法改正(改悪)、領土問題、原発問題等、国内外に問題が山積みですが、これからも正しいことは正しい、おかしいことはおかしいと声を大にして言っていきます。